『ねじまき鳥クロニクル』
2010年 02月 06日
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』新潮文庫(初版:1994年刊)
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』新潮文庫(初版:1994年刊)
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』新潮文庫(初版:1995年刊)
数ある村上作品のなかでもぼくがもっとも好きな長編です。そして数ある村上作品のなかでもっとも長い物語でもあります。『第3部 鳥刺し編』だけは、のちほど書き足されて1年後に刊行されたという経緯があるのですが、ぼくがはじめて『ねじまき鳥クロニクル』を手にした頃にはすでに文庫版も出版されていたので、もとから3部構成の物語としてなんの抵抗もなく読み進めた記憶があります。
『ねじまき鳥クロニクル』を最初に読んだのは、たしかぼくが大学生の1年か2年生の頃でした。ずいぶんと昔のことのようにも思いますが、いくつかの場面はその後もたしかな手応えをもってぼくのなかにしっかりとその足跡を残しております。色あせることのない記念写真みたいに。笠原メイのサングラス姿とか井戸のなかの暗闇、それにノモンハンの皮剝ぎなんかです。
ちょっとまとまった時間ができたので、久方ぶりに手に取ってみました。
相変わらず謎だらけの小説です。はじめてこの長編を読んだ時、ぼくは何を思ったのだっけ? クミコの失踪は、たしかあのころのぼくにとって、手に負えない程の重大な事件であったように記憶しております。ショックだったなあ。それからぼくは、まだ若かったぼくなりに、この物語の深みまでずぼずぼと入って行こうと試みたのではなかったっけ。まるで「僕」が井戸の底に向かうように。もちろん、枯れた井戸を身の回りに探したりはしなかったのですが。
いまではぼくも主人公の「僕」とそんなにかわらない年齢になっています。だからといって、今回『ねじまき鳥クロニクル』を読み返してみて、なにか新しい発見があったわけではありません。相変わらず謎だらけの小説であり続けています。笠原メイの手紙がとっても素敵であったこと、それが今回読み返してみて改めて強く感じたことであります。
アヒルのヒトたちの話はぼくをなんとも暖かい気持ちにさせました。それはきっと、笠原メイが感じたのと同じような暖かく幸福な気持ちであるように思います。そしてそれは、とても大切なことであるように思うのです。ぼくも氷の上で足がつうーとすべってひょっとコケるアヒルのヒトたちの姿をこの目で眺めてみたいものです。
『海辺のカフカ』と同じように、そのままドイツ語版『ねじまき鳥クロニクル』を読みたい気持ちもあるのですが、ちょっぴり躊躇しております。英語版からの重訳ということもあるのですが、なんといってもとっても長い物語ですので。なにはともあれ、30代半ばになったらまた『ねじまき鳥クロニクル』を読み返したいなと思います。そのときにはひっそりと読み進めることになるんじゃないかな、なんて気もしますが、それはそれとして。
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』新潮文庫(初版:1994年刊)
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』新潮文庫(初版:1995年刊)
数ある村上作品のなかでもぼくがもっとも好きな長編です。そして数ある村上作品のなかでもっとも長い物語でもあります。『第3部 鳥刺し編』だけは、のちほど書き足されて1年後に刊行されたという経緯があるのですが、ぼくがはじめて『ねじまき鳥クロニクル』を手にした頃にはすでに文庫版も出版されていたので、もとから3部構成の物語としてなんの抵抗もなく読み進めた記憶があります。
『ねじまき鳥クロニクル』を最初に読んだのは、たしかぼくが大学生の1年か2年生の頃でした。ずいぶんと昔のことのようにも思いますが、いくつかの場面はその後もたしかな手応えをもってぼくのなかにしっかりとその足跡を残しております。色あせることのない記念写真みたいに。笠原メイのサングラス姿とか井戸のなかの暗闇、それにノモンハンの皮剝ぎなんかです。
ちょっとまとまった時間ができたので、久方ぶりに手に取ってみました。
相変わらず謎だらけの小説です。はじめてこの長編を読んだ時、ぼくは何を思ったのだっけ? クミコの失踪は、たしかあのころのぼくにとって、手に負えない程の重大な事件であったように記憶しております。ショックだったなあ。それからぼくは、まだ若かったぼくなりに、この物語の深みまでずぼずぼと入って行こうと試みたのではなかったっけ。まるで「僕」が井戸の底に向かうように。もちろん、枯れた井戸を身の回りに探したりはしなかったのですが。
いまではぼくも主人公の「僕」とそんなにかわらない年齢になっています。だからといって、今回『ねじまき鳥クロニクル』を読み返してみて、なにか新しい発見があったわけではありません。相変わらず謎だらけの小説であり続けています。笠原メイの手紙がとっても素敵であったこと、それが今回読み返してみて改めて強く感じたことであります。
アヒルのヒトたちの話はぼくをなんとも暖かい気持ちにさせました。それはきっと、笠原メイが感じたのと同じような暖かく幸福な気持ちであるように思います。そしてそれは、とても大切なことであるように思うのです。ぼくも氷の上で足がつうーとすべってひょっとコケるアヒルのヒトたちの姿をこの目で眺めてみたいものです。
『海辺のカフカ』と同じように、そのままドイツ語版『ねじまき鳥クロニクル』を読みたい気持ちもあるのですが、ちょっぴり躊躇しております。英語版からの重訳ということもあるのですが、なんといってもとっても長い物語ですので。なにはともあれ、30代半ばになったらまた『ねじまき鳥クロニクル』を読み返したいなと思います。そのときにはひっそりと読み進めることになるんじゃないかな、なんて気もしますが、それはそれとして。
by schembart
| 2010-02-06 18:55
| 読書