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2017年4月から福岡大学人文学部歴史学科で西洋史を担当してます。


by schembart

青豆さんと天吾くん

今日は読書のお話です。

村上春樹『1Q84』新潮社

やっとこさ読み終えました。毎日毎日、数章づつ大切に読み進めていたら、もう終わってしまいました。もう読む章がないのは、なんとも寂しい限りです。

青豆さんと天吾くんの物語は、互いに引き寄せ合いながら、大きな渦となって、ぼくやら他の読者もろともに、巻き込んで進んで行きました。きっと、多くの読者たちも、あの渦に呑まれてしまったように思うのです。

高校生の頃から村上さんの本は読みつづけています。

その間、ずいぶんといろんな本を読んできて、文学理論的なあれこれに関しても、「メタ物語」であるとか「神の視点」だとか「パラレル・ワールド」やら「父の不在」果てには「エディプス・コンプレックス」といった鍵概念について、なんらかの知識も手にしてきたのです。頭でっかちになったのです。

それは、ぼくの小説の読み方になんらかの影響を与えています。良い悪いに関係なく。どうしようもなく。

そんな文学理論はきれいに戸棚の上に閉まっておけばいいのですが、小説を読むさいぼくにとってなによりも重要なのは、最後の頁をめくって目を上げた時に見える風景がちょっぴりと変わってしまう、あの感覚を味わうことなのです。

残念なことではあるのですが、年を重ねるにつれ、いろんな本を読み進めた結果か、そういう純粋な経験をすることが少なくなっています。正直な話、昔のままではいられないのです。

そんなこんなで村上さんの新刊です。

久しぶりにその感覚が味わえたように思います。

空には月が二つ浮かんでいるし、本屋では『空気さなぎ』が平積みになってます。でも天吾くんも言っているように、月が一個しかなくても、二個あっても、三個あっても、結局のところ天吾という人間はたった一人しかいない、のです。「そう、話のポイントは月にあるのではない。彼自身にあるのだ」

世界が変わってしまったとしても、問題はぼくの側にあるのです。

『1Q84』がたくさん売れているおかげで、今まで手に入りづらかった村上さん編『少年カフカ』が再版されて店頭に並んでいます。まだ読んでなかったので、これを機に買おうと思います。そして『海辺のカフカ』を読み返そうかなと思います。

2009年も半分終わりました。
渡独の日時が近づいてきました。夏バテにならないよう、あれやこれやの準備も進めていきたいなと思います。
by schembart | 2009-07-03 23:57 | 読書