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2017年4月から福岡大学人文学部歴史学科で西洋史を担当してます。


by schembart

ある手工業者の本棚(16世紀末)

暇を見つけてはベルント・レック『異端、芸術家、そして悪魔たち―金細工師ダヴィット・アルテンシュテッターの世界』を読み進めております。まだ読んでいる途中ですが、おもしろい箇所を見つけましたのでご紹介いたします。

1598年12月、アウクスブルクの金細工師ダヴィット・アルテンシュテッターは「信仰に関する疑い」のために都市当局により拘束されました。そこでの尋問のなかで、彼は自らが所有している書物について供述しています。この時代の手工業者は、いったいどんな書物を読んでいたのでしょうか?

尋問調書には、次のような記述が見つかります。

「…(彼は)自宅でいろいろなキリスト教の書物を読んでいる(と証言した)、すなわち、タウラーの本、キリストに倣いて、新約聖書についてのエラスムスの注釈、それに100年前にニュルンベルクにて印刷された古い聖書(などである) "... und hab` daheim zu Haus` allerhand christliche Bücher gelesen, als nämlich den Taulerum, die Nachfolgung Christi, die Auslegung Erasmi über das Neu Testament und dann eine alte Bibel, welche vor 100 Jahren zu Nürnberg gedruckt worden."」(同書、113頁)

レックの解説に従って詳細に見ていきましょう。まずは、「100年前にニュルンベルクにて印刷された古い聖書」とは、1483年にニュルンベルクのアントン・コーベルガー(Anton Koberger, ca 1440/1445–1513)によって印刷された挿絵つきドイツ語聖書だと考えられます。俗に「コーベルガー聖書」と言われるもので、ラテン語版とドイツ語版があります。関西学院大学の図書館にはラテン語版が所蔵されているようです。

人文主義者エラスムス(Desiderius Erasumus von Rotterdam)の「新約聖書注釈」は、レオ・ユード(Leo Jud)によってドイツ語訳され、1542年にチューリヒにて刊行された『意訳版(Paraphrasis oder Erklärung des ganzen Neuen Testaments)』であったと推測されます。訳者まえがきのなかでユードは、エラスムスがこの作品を「一般のひとびと(gemeinen Mann)」のために書いた、と説明を加えています。ちなみに、この書物の値段は 2 1/2 グルデン(Gulden)で、それは当時の農村の主任司祭のおよそ一ヵ月分の収入に匹敵するほどであったようです。

『キリストに倣いて(De imitatione Christi)』は、中世後期の大ベストセラーとして有名です。1420年から1441年までの間に、トマス・ア・ケンピスによって著されたと言われるこの作品は、その後もずっと、カトリックとプロテスタントとを問わずに、最高級の信仰書として読み継がれました。日本語でも、数種の邦訳がでております。中世後期に北ヨーロッパを中心に広がった「新しい敬虔(devotio moderna)」と呼ばれる信仰運動が生み出した最高傑作のひとつであるとされてますが、そのあたりについては、ぼくはまだまだ専門的な知識がありません。

「タウラーの本」というのは、中世後期の神秘思想家ヨハネス・タウラー(Johannes Tauler, ca 1300-1361)の『説教集』のことです。タウラーは、シュトラスブルク(ストラスブール)のドミニコ会修道士で、有名なマイスター・エックハルトの弟子だった人物です。

タウラーは、師匠である「エックハルトの理論から曖昧なところを洗い流して、トマス主義とディオニュシオス的新プラトン主義とを正統的に融合することに成功した。その源泉をディオニュシオスに負っているタウラーの教えの特色は、観想への道(「暗黒の光源」)の超自然的性格と暗黒とを強調していることである」。タウラーの「神学体系の前提は、「観想」とは本質的に、聖霊の賜物の働きによって霊魂に与えられる注入された知と愛である、というものである」(M.D.ノウルズほか、上智大学中世思想研究所編集/監修『キリスト教史4 中世キリスト教の発展』平凡社ライブラリー、1996年、322、323頁)

うーむ。深いですね。というか、ぼくにはまだまだよくわかりません。ちなみに、タウラーの説教集は日本語にも訳されています(ヨハネス・タウラー、田島照久訳『タウラー説教集 (ドイツ神秘主義叢書)』創文社、2004年)。

ぼくにとって興味深いのは、16世紀末に生きた一人の手工業者が、日曜日に教会でひらかれるミサには赴かなくても(アルテンシュテッター自身がそう供述しております)、聖書や神学者による信仰の教えなどを「自宅で」読み耽っていた、という事実です。それにもかかわらず、「カトリックかアウクスブルクの信仰告白(プロテスタント)か、あなたはどちらの信仰をお持ちであるか?」という尋問に対し、アルテンシュテッターは「信仰に関しては拘っていない(der Religion halben bisher frei)」と答えています。都市当局は、いまだ彼がすべてを語ってはいないとみなし、拷問の器具を見せながら(脅しながら)、尋問の続きに取りかかります・・・。

続きを読むのが楽しみです。
by schembart | 2009-11-07 22:54 | 文献紹介