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2017年4月から福岡大学人文学部歴史学科で西洋史を担当してます。


by schembart

氷結するボーデン湖

ヴォルフガング・ベーリンガー『気候の文化史』に面白い記述がありましたのでご紹介いたします。

Wolfgang Behringer, Globale Abkühlung: Die Kleine Eiszeit, in: Ders., Kulturgeschichte des Klimas. Von der Eiszeit bis zur globalen Erwärmung, 4., durchgesehene Auflage, München 2009, S. 117-162, bes. 126f.

本書では先史時代からはじめて現代までの気候の変動とそれに対するひとびとの対応の模様が網羅的に扱われているのですが、とりわけぼくの関心のある(あとベーリンガー先生のご専門でもある)中世後期から近世にかけてのいわゆる「小氷期(Kleine Eiszeit)」を解説した箇所だけを拾い読みしました。

「湖上氷結(Seegfrörnen)」という言葉があります。これは、とくにスイスで使われている言葉なのですが、アルプス地方の大きな湖が冬に氷結する現象を意味しています。ドイツとスイスとオーストリアに挟まれたボーデン湖(Bodensee)は中央ヨーロッパを代表する大きな湖のひとつですが、ここでも湖上氷結が歴史的に何度か観察されています。

ボーデン湖の湖上氷結が記録としてはじめて確認されるのは、875年と895年の冬のことです。その後、およそ200年間は氷結が起こったという記録はなく、11世紀になり2回、12世紀には1回(1108年)、そして13世紀には3回の湖上氷結が確認されるようです。14世紀から湖上氷結の報告数は増加します。14世紀には6回(1323、1325、1378、1379、1383年)、15~16世紀にはそれぞれ7回づつ。とりわけヨーロッパが寒くなったと言われる1560年から1575年にかけては、5年に一度の割合で湖上氷結が起こっていたようです。最も長い湖上氷結は、おそらくは1572年から73年にかけてのもので、ボーデン湖は12月に凍り始め、三王礼拝の祝日(1月6日)ころにいったん解けてしまったものの(この時には数人の死者が出た模様です)、またすぐに氷結し、それは復活祭後の月曜日(この年は3月24日)まで続いたようです。

面白いのはここからで、湖上氷結の間、湖上の所有権は湖に隣接するいくつかの共同体に帰属したようです。ひとびとは湖上を橇で行き来し、商売・交易を行い(あるいは密輸をしたり)、湖の長さを測り、あるいは謝肉祭の楽しみ(スケートなどでしょうか、詳しくはわかりません)としても使ったようです。6頭立ての馬車で湖上を行ったり来たりしていたようです。

1573年2月17日には、「氷上の行列(Eisprozession)」という慣行が行われるようにもなりました。聖ヨハネの胸像を掲げて行列になって氷上を練り歩くというものです。1573年、スイスのミュンスターリンゲン(Münsterlingen)から行列は出発し、向かい側のシュヴァーベン地方(ドイツ)のハーゲナウ(Hagenau)まで聖ヨハネの胸像を送り届けました。胸像は次の湖上氷結までハーゲナウで保管されます。湖上氷結が起こると、今度は逆にハーゲナウから行列が行われ、胸像をミュンスターリンゲンまで送り届けたのです。

その後、17世紀には2回(1684年、1695年)、18世紀には1回(1788年)、19世紀には2回(1830年、1880年)の湖上氷結が起こり、そのたびに聖ヨハネの胸像はスイスとシュヴァーベンを行ったり来たりしたわけです。1963年の湖上氷結以来、現在でも聖ヨハネの胸像はミュンスターリンゲンで次の氷結を待っているとのことです。

この慣行からは、ひとびとが寒い冬という外的な要因(気候)に対して、ただ受動的に対応していたわけではなかったということがよくわかります。ひとびとは、そのような外的な要因をもみずからの慣行のなかに取り入れることで、彼らなりのやり方でよりアクティブに自然と向き合っていたのですね。

それにしても、あの大きなボーデン湖の全面が氷結するとは、ちょっぴり信じがたいものがあります。ぼくは夏のボーデン湖しか知りませんが、機会があったら冬のボーデン湖にもぜひ一度行ってみたいなと思います。
氷結するボーデン湖_b0175255_21121858.jpg

by schembart | 2009-11-29 21:35 | 文献紹介