中近世ドイツ都市史を研究する渡邉さんの日々 2009年夏からドイツに留学中(2013年9月に帰国しました)


by schembart

アウクスブルク大聖堂に埋葬された皇帝のお話

昨夜は、アウクスブルク大聖堂にあると言われる神聖ローマ皇帝オットー三世の墓所についての講演会を聞きに行ってきました。講師は、以前にここでもご紹介しました中世史の入門サイト『中世史:デジタルによる研究入門』の作成者でもあるマティアス・クルーゲ(Mathias Kluge)氏。詳細はこちら

会場は、講演テーマの舞台でもあるアウクスブルク大聖堂。あいにくの天気にもかかわらず、コートにマフラーと完璧な防寒姿で集まった聴衆は100名弱。寒い寒いとひとりごちながらぼくも参加してきました。思った以上に聴衆が集まったようで、講演会場は小さなチャぺルから大聖堂のど真ん中に急きょ変更。

マイクの声が大聖堂内に響く響く。エコーの具合は絶好調です。まるでラテン語説教を聞いてるみたいに上の空になること数知れず…。せっかくの興味深いお話も、残念ながら半分ほども理解できずじまい…。まぁでも、アウクスブルク大聖堂にまつわる歴史的なお話を、当の大聖堂で聞くことができる、その雰囲気を味わえただけでも大満足。高い高い天井を見上げながら、そんな風に思った次第です。

1002年、ローマでオットー三世は死去。皇帝の遺体は、あのカール大帝も眠るアーヘンへと埋葬されるべく、アルプスの山々を超える。ところが、遺体を運ぶ一行はバイエルン公ハインリッヒ二世により行く手を遮られ、陶器に保管された皇帝の内臓を奪われてしまう。バイエルン公は、その皇帝の内臓をアウクスブルク大聖堂に埋葬させたという。いつしか人々はそのことを忘れてしまった…。(Vgl. Jörg Rogge, Die detuschen Könige im Mittelater. Wahl und Krönung, Darmstadt 2006, S. 10)

クルーゲさんは、15~16世紀アウクスブルクの人文主義者ポイティンガーの残したメモ書きや大聖堂にある碑銘の文言を手掛かりに、オットー三世の墓所としてのアウクスブルク大聖堂の意味を探りだします。また、エルンスト・カントロヴィッチなどの議論を援用し、「皇帝の身体が持つ地政学上の意味」を問うことを通じ、中世における王権のありかたとその変容過程をもそこから見出そうとしていました(とぼくは理解しました)。詳細については、きっとまた活字としても発表されるでしょう。そちらをご参照くださいな。

ちなみに、歴代の神聖ローマ皇帝(カール大帝からフランツ二世まで)の埋葬地については、以前にご紹介した『神聖ローマ帝国:概説』の付録に一覧があります。埋葬地地図もありました。

Klaus Herbers/Helmut Neuhaus, Das Heilige Römische Reich: Ein Überblick, Köln u.a. 2010, S. 311-313.

ちなみに、中世のアウクスブルク大聖堂については、以下の冊子が参考になります。

Martin Kaufhold (Hrsg.), Der Augsburger Dom im Mittelalter, 2. Aufl. Augsburg 2007.

昨日はうっかり大聖堂の写真を撮るのを忘れてしまいました。ずいぶんと前の写真をどうぞ。
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by schembart | 2010-12-07 19:25 | 講義・講演会・研究会