中近世ドイツ都市史を研究する渡邉さんの日々 2009年夏からドイツに留学中(2013年9月に帰国しました)


by schembart

冷静な振る舞いについて

村上春樹『雑文集』新潮社、2011年

一時帰国での読書日記。村上さんの新刊は、これまであちらこちらで発表されてきたインタビュー、受賞の言葉、海外版の序文、書評、音楽評、エッセイなどをかき集めてひとつにまとめたという、村上ファンのぼくにとってはよだれが出て仕方のないなんとも嬉しい一冊となっております。イスラエルでの「卵と壁」のスピーチも収録されております。あとがきに代えて展開される安西水丸×和田誠雑談も楽しめました。

気になったのは、『アンダーグラウンド』『約束された場所で』あたりの村上さんの仕事についてご自身で語った箇所。村上さんによる森達也監督『A2』に対する映画評を読めたのも嬉しい限りでした。ちょうど前に森さんの『A3』を読んだ後だったから。阪神大震災と共に、日本社会に大きな転換をもたらした1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件。その影響の深さは、あまりにも大きかったのです。ここ数年は、メディアで話題になることもずいぶんと少なくなったけども。

オウム事件の原因の根の深さについては、藤原新也『黄泉の犬』(文春文庫、2009年)を読みました。「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」(『メメント・モリ』)で有名な藤原さんですが、本書は、1995年から1996年まで雑誌『週刊プレイボーイ』で連載された「世紀末航海録」を改題して2006年に刊行された単行本の文庫版。インドの地で青春時代を過ごした著者は、同じインドの地で重要な宗教体験を経たというオウム真理教の青年たちの姿をどのように見たのか。どこまでも藤原さん独特の言葉で語られるその文章は、とっつきにくいところもあるものの、はまってしまうともういけません。その文体はともかく、もっと多くの方に読まれて話題になるべき作品だと思います。

本書の前半では、「麻原は水俣病の犠牲者で、そのことが地下鉄サリン事件の遠因のひとつではないか」との思いつきから、藤原さんが麻原氏の実兄・松本満弘氏を訪れます。そこで満弘氏の口から語られたのは、どのような事実だったのか。連載時の突然の休載についても、本書ではその事情が語られています。オウム事件についてはいまだ多くのことが清算されないままであるという思いを強くしました。改めて考えさせられます。

おそらく、今回の東日本大震災と原発事故は、1995年の阪神大震災とオウム事件以上に、日本社会に大きな傷跡を残すだろうと思います。とくに原発事故は、オウム事件のように、明確な加害者グループやグル(いまでは悪玉を意味するようになりました)が存在するわけではないだけに―じっくりと見ていけば、オウム事件だって善悪の対決軸だけで語るのは難しいことは明白だけど、それはそうとして―、その対応においては、自己分裂症的な症状が現れざるを得ないだろうと思います。時間も長くかかるでしょう。そんななかで冷静な振る舞いを続けるのは、どうしたらよいのだろう。なんとも難しいことなのかもしれません。おそらく今、そのためにぼく自身ができるのは、自分がいまだ混乱の中におり、もしかすると間違った振る舞いをしているかもしれないという自覚を失わないこと、それだけなのかもしれません。あるいは今は、冷静な振る舞いということ自体、求められていないのでしょうか? うーん…。あれ、またなんだか、読書日記からいつの間にやら意味のない独り言になっていました。まあいいか、たまにはいいか。『雑文集』、『黄泉の国』、まったく質感の違う作品ですが、どうぞ時間のある方は読んでみてください。
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by schembart | 2011-04-19 22:53 | 読書