中近世ドイツ都市史を研究する渡邉さんの日々 2009年夏からドイツに留学中(2013年9月に帰国しました)


by schembart

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氷結するボーデン湖

ヴォルフガング・ベーリンガー『気候の文化史』に面白い記述がありましたのでご紹介いたします。

Wolfgang Behringer, Globale Abkühlung: Die Kleine Eiszeit, in: Ders., Kulturgeschichte des Klimas. Von der Eiszeit bis zur globalen Erwärmung, 4., durchgesehene Auflage, München 2009, S. 117-162, bes. 126f.

本書では先史時代からはじめて現代までの気候の変動とそれに対するひとびとの対応の模様が網羅的に扱われているのですが、とりわけぼくの関心のある(あとベーリンガー先生のご専門でもある)中世後期から近世にかけてのいわゆる「小氷期(Kleine Eiszeit)」を解説した箇所だけを拾い読みしました。

「湖上氷結(Seegfrörnen)」という言葉があります。これは、とくにスイスで使われている言葉なのですが、アルプス地方の大きな湖が冬に氷結する現象を意味しています。ドイツとスイスとオーストリアに挟まれたボーデン湖(Bodensee)は中央ヨーロッパを代表する大きな湖のひとつですが、ここでも湖上氷結が歴史的に何度か観察されています。

ボーデン湖の湖上氷結が記録としてはじめて確認されるのは、875年と895年の冬のことです。その後、およそ200年間は氷結が起こったという記録はなく、11世紀になり2回、12世紀には1回(1108年)、そして13世紀には3回の湖上氷結が確認されるようです。14世紀から湖上氷結の報告数は増加します。14世紀には6回(1323、1325、1378、1379、1383年)、15~16世紀にはそれぞれ7回づつ。とりわけヨーロッパが寒くなったと言われる1560年から1575年にかけては、5年に一度の割合で湖上氷結が起こっていたようです。最も長い湖上氷結は、おそらくは1572年から73年にかけてのもので、ボーデン湖は12月に凍り始め、三王礼拝の祝日(1月6日)ころにいったん解けてしまったものの(この時には数人の死者が出た模様です)、またすぐに氷結し、それは復活祭後の月曜日(この年は3月24日)まで続いたようです。

面白いのはここからで、湖上氷結の間、湖上の所有権は湖に隣接するいくつかの共同体に帰属したようです。ひとびとは湖上を橇で行き来し、商売・交易を行い(あるいは密輸をしたり)、湖の長さを測り、あるいは謝肉祭の楽しみ(スケートなどでしょうか、詳しくはわかりません)としても使ったようです。6頭立ての馬車で湖上を行ったり来たりしていたようです。

1573年2月17日には、「氷上の行列(Eisprozession)」という慣行が行われるようにもなりました。聖ヨハネの胸像を掲げて行列になって氷上を練り歩くというものです。1573年、スイスのミュンスターリンゲン(Münsterlingen)から行列は出発し、向かい側のシュヴァーベン地方(ドイツ)のハーゲナウ(Hagenau)まで聖ヨハネの胸像を送り届けました。胸像は次の湖上氷結までハーゲナウで保管されます。湖上氷結が起こると、今度は逆にハーゲナウから行列が行われ、胸像をミュンスターリンゲンまで送り届けたのです。

その後、17世紀には2回(1684年、1695年)、18世紀には1回(1788年)、19世紀には2回(1830年、1880年)の湖上氷結が起こり、そのたびに聖ヨハネの胸像はスイスとシュヴァーベンを行ったり来たりしたわけです。1963年の湖上氷結以来、現在でも聖ヨハネの胸像はミュンスターリンゲンで次の氷結を待っているとのことです。

この慣行からは、ひとびとが寒い冬という外的な要因(気候)に対して、ただ受動的に対応していたわけではなかったということがよくわかります。ひとびとは、そのような外的な要因をもみずからの慣行のなかに取り入れることで、彼らなりのやり方でよりアクティブに自然と向き合っていたのですね。

それにしても、あの大きなボーデン湖の全面が氷結するとは、ちょっぴり信じがたいものがあります。ぼくは夏のボーデン湖しか知りませんが、機会があったら冬のボーデン湖にもぜひ一度行ってみたいなと思います。
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by schembart | 2009-11-29 21:35 | 文献紹介

手書き史料の読み方

アウクスブルク市立文書館に通って手書き史料(Handschrift)を読み進める日々が続いています。

手書き史料と一口に言っても、時代によって省略の仕方や文字の形はさまざまです。もちろん、昔の史料を読み解くことはこちらの学生や研究者たちにとっても簡単ではなく、大学では「史料の読み方」を習う授業が用意されています。日本だって事情は同じで、素人がすらすらと日本史の史料を読むことなどできません。それなりの訓練が必要なのです。

とても幸運なことに、ぼくは日本にいる間にドイツ語の手書き史料を読む訓練を受けることができました。まがりなりにも、こうして毎日文書館に通って史料を読み進めることができるのも、そこでの訓練があったからこそです。ほんとうに良い先生方と良い先輩方に恵まれていたのです。ゼミナールで1年間ほど手書き史料を読み進め、ずいぶんと目も慣れてきたところで、その後は場所を移して、2007年の春学期に(その年の夏からぼくは交換留学に出ることが決まっていたのです)、集中的に史料を読み解く訓練を受けました。

15世紀のものからはじめて17世紀のものまで、その時代特有の文字の書き方や省略の仕方、あるいは史料のサイズや紙の種類まで、そういった情報をひとつひとつ教えていただきながら、一文字づつ解読していくというものでした。数か月の短い期間ではありましたが、最後には先生から「これで一応、君たちも中近世の史料はだいたい読めるようになりました。あとは現地で山ほど読んできなさい」と言っていただきました。

それは、ほんとうに幸運なことだったのです。

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今朝、日本からその先生がお亡くなりになられたとの悲しい知らせをいただきました。

教えていただいたのは、史料の読み方だけではありません。学術的な議論の立て方や論文の書き方、あるいは研究に対する姿勢や作法にいたるまで。ずいぶんとたくさんのことをお教えいただきました。まだ頭の中はごちゃごちゃしていますが、研究を掘り深め、しっかりとした論文を書くことが、先生からいただいた学恩に報いることにつながるかと思います。かつて先生も若い時に学んだドイツの地から、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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by schembart | 2009-11-27 23:28 | 研究

クリスマス市のはじまり

アウクスブルクでもクリスマス市が始まりました。

文書館での仕事を終えて、年甲斐もなくちょっぴりわくわくしながら市庁舎前広場に行ってきました。雨模様のあいにくの天気でしたので、人もまばら。あるいは少し時間が早すぎたのかもしれません。とりあえずは写真だけ撮って帰ってきました。グリューワインはまたのお楽しみということで。

ちなみに1週間前の様子はこちら
そして3週間前の様子はこちら

夕刻の5時くらいでしたが、あたりはもうすっかりと暗くなり、電飾がとてもきれいでした。
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アウクスブルクのクリスマス市の歴史は、今から500年以上前にさかのぼると言われています。史料でその存在がはじめて確認できるのは1498年のこと。この年の12月22日に開かれた参事会の会議にて、以下のような取り決めがなされました。(意訳です)

「クリスマスの時期に、これまでの慣習にならって、ペルラッハ広場かあるいは聖母教会(大聖堂Dom)前において、レープクーヘンを売りに出したいと考えている者はすべて、あらかじめ互いにくじ引きをし、くじに従って売店の位置を決めること。また、売店はすべてがおなじ大きさであること。(das nun fürohin alle die, so zu weyhennacht zeiten lebzollten wie wan allter herkommen ist vff dem Berlach, oder vor vnnser lieben frawen feyl haben wöllen, vmb die stännd mit ainander lössen vnd sich nach dem loß stellen, das auch dieselben alle gleich hütten ainer maß die man geben wirdet...)」
(Franz Häußler, Marktstadt Augsburg, Augsburg 1998, S.181の引用から)

とっても面白い規定ですね。参事会議事録(Ratsprotokoll)には、こういった興味深い規定がたくさん含まれております。「これまでの慣習にならって」とあるように、おそらくは15世紀の後半にはすでに「クリスマスにレープクーヘンを売り出す」ことは伝統的な慣行になっていたと想像されます。しかも、おそらくは毎年、その売店の場所決めや売店の大きさをめぐってたくさんのもめごとが起こっていたのでしょう。(もちろん厳格ではありませんが)現在でもクリスマス市にならぶ屋台の大きさが(ほぼ)均一なのは、じつはこういった歴史的な背景があったのですね(その方が経済的で機能的だから、といったご意見はこのさい忘れてしまいましょう)。

あと一ヵ月は、仕事の後のクリスマス市での散策を楽しみにして、文書館での史料調査に励みたいと思います。
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by schembart | 2009-11-25 03:34 | 留学生活

ボン、ケルン Bonn、Köln

先週末は、現在ぼくが奨学金を頂いているドイツ学術交流会(DAAD)の会合があり、かつての首都ボンへと行ってきました。

日本でお会いしたことのあった奨学生の方々にも会えて、みなさんの研究状況やドイツでの暮らしぶりなんかも興味深く聞くことができました。みんなドイツ語がもちろん達者で、ぼくももっと頑張らないとなぁ、と思った次第です。あとは、ボンにある「歴史館(Haus der Geschichte)」に行って現代史の展示を見たり、先輩のDAAD奨学生のお話を聞いたり、お酒を飲んだりと、なかなか楽しい時間を過ごしてきました。

ミュンヘンの語学学校でおなじクラスだった子たちにも数人に会うことができました。彼らは中央アジアのグループ(ちなみにぼくらは日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドのグループです)でしたので、あんまり込み入った話は出来なかったけど、みんな元気にそれぞれやっているみたいで嬉しい限りです。

せっかくはじめてボンに来たということで、ぼくはもう一泊して観光をしてきました。

ボンではちょうどクリスマス市が始まったばかりで、たくさんの人でごった返しておりました。街並みはとてもきれいで、ぶろぶろ散歩するのだけでも楽しめました。ボン大学はかつてのケルン大司教の宮廷をそのまま大学として使用しており、とっても雰囲気のある建物でした。あとはライン川です。
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夜には、ボンで歴史学を研究されておられる方とお会いして、おいしいベンシュ(Bönnsch、ボンの地ビール)を片手にいろいろと興味深いお話をしてきました。ベンシュはとても美味しくて、独特のかたちをした小さめのジョッキに入れらて出てきます。たくさん飲んで気分もよく、帰ったらすぐに眠ってしまいました。

日曜日にはケルンまで行ってきました。初ケルン。まずはなんといっても大聖堂。
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大聖堂。
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また大聖堂。
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あとは街中を散策してきました。とても工事が多かったです。目の前にはクレーンやトラックがたくさん見えますが、空を見上げると、ふるい歴史的な建物の存在感も存分に味わえます。たとえば、旧市庁舎(Historische Rathaus)。
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その後、今年の3月に崩壊してしまったケルン市立歴史文書館の跡地まで歩いて行ってきました。アウクスブルク都市文書館の害虫被害を記したところでも触れましたが、2名の犠牲者をも出した大惨事の現場が現在どうなっているのか、この目で見てみたかったのです。
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にわかには信じられないものがありますが、ほんとうに街中にぽっかりと大きな穴ができていました。大都市ケルンのなかにあって、ここだけは時間が止まってしまったかのような、不思議な静けさがありました。言葉が出てきません。
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by schembart | 2009-11-23 17:25 | 旅行
アウクスブルク大学の歴史学部が主催する公開連続講義『世界史の分岐点』の第3回目が開催されました。

Prof. Dr. Wolfgang E. J. Weber
1517/20: Der Aufstand der Frommen und die Weltgeschichte.
「1517/20年:敬虔者たちの反乱と世界史」

今回の報告者は、近世史家で先週の日独シンポジウムの企画者のひとりでもあるヴォルフガング・ヴェーバー教授。講演は「1517/20年:敬虔者たちの反乱と世界史」と題され、1517年の有名なマルティン・ルターの95カ条の命題と1520年のルターによる代表的な3つの論文発表のインパクトと、それが後世にもたらした計り知れない影響が解説されました。コメントは現代社会までおよび、45分の講演時間では物足りなさを感じましたが、とてもスケールの大きなお話でした。

具体的なトピックを取り上げるのではなく、宗教改革とそれに続く宗派化(Konfessionalisierung)が政治や文化、および日常生活のさまざまな局面に対していかなる影響を及ぼしたのか、あるいは現在まで及ぼし続けているのか、ということが多角的に論じられました。どうしても抽象度の高い議論になってしまうので、話についていくのに必死です。やっぱり具体的なお話の方が理解しやすいものですね。

ハインツ・シリングの「はじめにルターとカルヴァンだけがいたわけではない、ルターとロヨラとカルヴァンがいたのだ」という言葉を引用されて、ルター派やカルヴァン派などの宗教改革だけに注目するのではなくて、カトリック側の状況も多分に紹介されてました。近世の「キリスト教の世界への拡張」など、まさに『世界史の分岐点』という連続講義の趣旨を強く意識された講演でした。

ヴェーバー先生は、J.ブルクハルト先生とともに2008年に来日されて講演を行っており、日本語でもそのさいの講演原稿を読むことができます。

ヴォルフガング・ヴェーバー、渋谷聡訳「厄災と手段 : 近世ヨーロッパの政治文化における戦争」『社会文化論集 (島根大学法文学部紀要社会文化学科編)』5(2009), 43-54頁

ですが、ぼく自身が先生の多くの活動のなかでいちばん注目しているのは、数年前から先生が企画をしている16世紀アウクスブルク市民ゲオルグ・ケルデラー(Georg Kölderer,1550? - 1607)の『年代記』編纂事業です。このような大規模な史料の編纂事業には、どうしたって長い月日と優秀な人材が必要で、さまざまな方面からの援助、助成が不可欠であるようです。先日もまた、この事業に対する助成が決まったようです。あるいは、こちら。「プライベートな助成なしには、このような史料編纂事業はやっていけない」とのことです。どこでも歴史研究を取り巻く状況は厳しいものなのですね。

ケルデラーの『年代記』は、とっても面白い内容をたくさん含んでいるみたいです(日本からの「最新ニュース」なんかも記されているようです。面白そうですね)。はやく刊行されないかな。楽しみです。刊行されたらまた詳しくご紹介いたします。

ちなみに、ケルデラーを扱った研究は、次のものがいちばん詳しいです。ぼくも買ってみよう。

Benedikt Mauer, 'Gemain Geschrey' und 'teglich Reden' Georg Kölderer - ein Augsburger Chronist des konfessionellen Zeitalters (Studien zur Geschichte des bayerischen Schwaben, Band 29), Augsburg 2002.
『"みんなの叫び"と"日々の語り"ゲオルグ・ケルデラー:宗派の時代におけるアウクスブルクの年代記作家』
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by schembart | 2009-11-19 15:53 | 講義・講演会・研究会
先週は、指導教授との面談にはじまって、水曜日にはアウクスブルク大学で開かれたドイツ-日本シンポジウム「近世ヨーロッパにおける平和の諸相」を聞きに行き、週末にはメミンゲンでの研究大会「地域における環境史」に泊まりがけで参加して、そしてその合間にも文書館での史料調査を続けるという、なんとも怒涛のスケジュールでした。ドイツに来て間違いなくいちばん忙しかった一週間です。よく頑張りました。うん。

今日は月曜で文書館もお休みなので、ひさびさに何もない一日でした。大学の学食で朝食兼昼食を済ませて、図書館に行って予約していた本を借り、ちょっぴりとコピーもして、あとはのんびりと買い物をして帰っきました。

帰る途中にある市庁舎前の広場では、来週からはじまるクリスマス市にむけての準備が着々と進んでいます。ちなみに、2週間前の様子はこちら
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クリスマスツリーも。
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まだまだ綺麗ではありませんが、こうやってどんどんとクリスマスが近づいてくるのを感じられるのはなかなかいいものです。ほっこりとした気分になります。雪降るなかをグリューワイン(暖かい赤ワイン)飲みながらクリスマス市を歩き回るのは、なんといってもドイツで味わえる最高の贅沢のうちのひとつだと思います。寒くて長いドイツの冬を前にして、心温まるクリスマス市のにぎわいは、なんとも嬉しいものなのです。幸せな気分になってしまいます。ああ楽しみだ。

話は代わりまして、先週末のメミンゲンの研究会で知り合いになったラインハルト・バウマン博士(Dr. Reinhard Baumann)のご著書をここで忘れないうちにご紹介しておきます。

ラインハルト・バウマン著、菊池良生訳『ドイツ傭兵(ランツクネヒト)の文化史―中世末期のサブカルチャー/非国家組織の生態誌』新評論、2002年

面白い本ですので、興味ある方はどうぞ手に取ってみてください。きっと歴史を専門にしていなくても楽しめる内容だと思います。バウマンさんはとっても親切な方で、ぼくがこの本を読みましたとお伝えすると、とても喜んでくださいました。ここで紹介することで、すこしでもバウマンさんの本が多くの方に読まれるようになったらば、ぼくも嬉しく思います(あんまり効果はないかもしれませんが…)。
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by schembart | 2009-11-17 03:57 | 留学生活

メミンゲン Memmingen

研究大会も無事に終わりまして、その後はのんびりとメミンゲンの街中を散策してきました。

市庁舎広場。ハトと戯れる少年の後ろ姿が素敵ですね。真ん中に見えるのが、研究大会の会場となった市庁舎(Rathaus)です。
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土曜の朝にはここで市場が開かれてまして、とても活気に満ちていました。
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広場からは、聖マルティン教会(St.Martinskirch)も見えました。
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現在のメミンゲンの人口数は4万人ほどで、中世の面影を残すこじんまりとした中都市です。ただ街中を歩いているだけで楽しい気分になります。メミンゲンの歴史を簡単に振り返りますと、1268年に帝国都市(Reichsstadt)としての地位を獲得し、その後14世紀から16世紀にかけて最盛期を迎えまして、1803年にバイエルンに併合されることになります。

ですが、なんといっても重要なのはドイツ農民戦争(1524/25年)との関連です。メミンゲンの歴史は農民戦争抜きには語れません。有名な農民の「12ヶ条(Zwölf Artikel)」は、聖マルティン教会の説教師クリストフ・シャペラー(Christoph Schappeler)によってまとめられました。十分の一税の廃止や貢租の軽減をもとめた文書として、歴史的には非常に重要な意味を持っていると評価されてきました。せっかくなのでメミンゲン都市文書館がまとめた「12ヶ条」の刊本を購入することに。

Zwölf Artikel und Bundesordnung der Bauern, Flugschrift "An die versamlung gemayner pawerschafft". Traktate aus dem Bauernkrieg von 1525, übertragen von Christoph Engelhard, mit einer Einführung von Peter Blickle über Memmingens Rang in der Geschichte der Reformation (=Materialien zur Memminger Stadtgeschichte, Reihe A: Quellen, Heft 2), hg. von Stadtarchiv Memmingen, 2000, 68 S.

農民戦争史の大家ペーター・ブリックレのエッセイも収録されてまして、しかも4ユーロと価格もお手頃でした。このあたりに関心のある方は、何といってもドイツでも定評のあるブリックレの『1525年の革命』がおすすめです。「12ヶ条」も邦訳されて収録されています。

ペーター・ブリックレ著、前間良爾/田中真造訳『1525年の革命―ドイツ農民戦争の社会構造史的研究』刀水書房、1988年

まだ帰りの電車までは時間があったので、「アントニウス博物館(Antoniter-Museum)」へ行きまして、中世の医術やアントニウス修道院に関する展示を見てきました。今回の研究会でも、金曜の夜の特別講演で「アントニウスの医術」がテーマとなっていましたし、今日も「フェルハイムのペスト(18世紀)」という報告を聞いてきたばかりなので、面白く見学できました。

フェルハイムというのは、メミンゲンから北へ数キロのところにある小さな村落なのですが、近世には村落の中にユダヤ人共同体とキリスト教徒の共同体が隣り合って存在していました。シュヴァーベンの村落には、こういった事例は珍しくはなかったようです。さて、そんな小さな村落で18世紀にペストが流行しまして、キリスト教徒1名、ユダヤ教徒10名が命を落とすこととなりました。「どうしてユダヤ人は優先的に疫病に罹ったのか?」。その原因について当時の「専門家」や「役人」や「住民」たちがさまざまに語っており、その報告書などがシュトュットガルト州立文書館に多く残されているとのことです。報告はそれらの言説を分析するというもので、いつものごとくドイツ語の報告を全部を理解できたわけではありませんが、とても面白く聞くことができました。

最後は、メミンゲンに数多くある塔のひとつ。とぼけた顔をしております。
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by schembart | 2009-11-16 04:01 | 旅行
シュヴァーベン地域史メミンゲン討論会(Memminger Forum für schwäbische Regionalgeschichte e.V.)の二年に一度の研究大会が開かれました。メミンゲンの市庁舎にて3日間にわたって開催されるこの研究大会には、専門家ばかりでなくメミンゲンを中心に一般の市民たちもたくさん参加しておりまして(多い時には50人ほども)、活発に議論が展開されています。

今回のテーマは、「地域における環境史(Umweltgeschichte in der Region)」というもので、南ドイツ、とくにシュヴァーベン地域を中心に、さまざまな専門領域の専門家たちが集まりまして、人々と自然環境とが取り結んださまざまな諸関係の歴史をさまざまな視角から討論することが大会の目的となっております。

13日(金曜)から15日(日曜)までの3日間で、全部で15本の報告が用意されております。報告は4つのセクションに分かれてまして、第1セクションは「歴史的気候学(Historische Klimatologie)」、第2セクションは「農業への影響(Folgen für die Agrarwirtschaft)」、第3セクションは「森林利用の諸問題(Probleme der Waldnutzung)」、そして第4セクションは「行動様式と言説(Verhaltensformen und Diskurse)」と題されており、歴史家に限らず自然科学の専門家(気候学者や地理学者)による学際的な議論が展開されております。

ぼくの研究にとって重要なのは「森林利用」に関する第3セクションの報告ですが、それ以外にもとても勉強になる報告がたくさんありました。もちろん、全部の議論についていけたわけではありませんが…。一日にこれだけのドイツ語の専門的な話を聞くと、それだけでくたくたに疲れてしまいます。細かな話になると、すぐにちんぷんかんぷんになってしまいます。

以下が報告の題目になります。

Rolf Kießling,
Einführung: Umwelt als Kategorie der Regionalgeschichte.
「導入:地域史研究の対象としての環境」

Auftakt: Mittelalterliche Grundlagen.
「幕開け:前提としての中世」

Gisela Drossbach,
Mensch und Umwelt in der Kirchenrechtssammlung ‚Collectio Monacensis’(ca. 1200).
「教会法集成"コレクチオ・モナケンシス"(1200年頃)にみる人間と環境」

Sektion I: Historische Klimatologie.
「セクション1:歴史的気候学」

Hans-Jörg Künast,
„In der Früh sehr kalt, nachmittags schön“. Augsburger Wetteraufzeichnungen aus den Jahren 1579 bis 1588.
「"朝はとても寒く、午後は快い"―アウクスブルクの天気録(1579-1588年)」

Peter Winkler,
Revision der meteorologischen Daten von Hohenpeißenberg (seit 1781).
「ホーヘンパイセンベルクにおける気象学データの修正(1781年以降)」

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Öffentlicher Abendvortrag
Peer Friess,
Vergessene Weisheiten oder: Warum die Heilkunst der Antoniter so lange verborgen blieb.
「忘れられた知恵、あるいは:アントニウスの医術はどうして長いこと知られないままであったのか」
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Heidi Escher-Vetter,
Klimaentwicklung und Gletscherverhalten in Mitteleuropa seit 1500.
「1500年以降の中央ヨーロッパにおける気候の展開と氷河の動き」

Sektion II: Folgen für die Agrarwirtschaft.
「セクション2:農業への影響」

Stefan Sonderegger,
„…der Zins ist abgelon…“. Schwierige Zeiten in der Landwirtschaft der spätmittelalterlichen Ostschweiz und ihre Folgen.
「"…貢租は支払われた…"―中世後期における東スイス農業の困難期とその影響」

Christian Jörg,
„So wir warm sollen han, so komen kelten“. Zu den klimatische Rahmenbedingungen der Hungerjahre um 1438 im oberdeutschen Raum.
「"暖かいはずの時に、寒い"―南ドイツにおける1438年頃の飢饉の諸条件」

Frank Konersmann,
Agrarwirtschaft und Kleine Eiszeit in Oberschwaben.
「オーバーシュヴァーベンにおける農業と小氷期」

Paul Hoser,
Die Besiedlung des Donaumooses.
「ドナウ湿地帯の定住」

Sektion III: Probleme der Waldnutzung.
「セクション3:森林利用の諸問題」

Gerhard Immler,
Probleme der Waldnutzung in Schwaben.
「シュヴァーベンにおける森林利用の諸問題」

Klaus Brandstätter,
Maßnahmen zur Sicherung der Holzversorgung in der frühen Tiroler Montanindustrie.
「初期ティロール鉱山業における木材供給のための諸対策」

Sektion IV: Verhaltensformen und Diskurse.
「セクション4:行動様式と言説」

Christine Werkstetter,
Die ‚Pest’ in Fellheim: zum Seuchendiskurs im 18. Jahrhundert.
「フェルハイムのペスト:18世紀の疫病言説について」

Barbara Rajkay,
Hunde in der Kirche, Schweine auf der Gasse. Tiere in der vormodernen Stadt.
「教会に犬、通りに豚:近代以前の都市における動物」

Gerhard Hetzer,
Mensch und Tier im Schlachthaus. Zustände und Wandlungen im 19. Jahrhundert.
「屠畜場の人間と動物:19世紀における状況と変化」


「環境史」というと、一時期は日本でもアメリカ学界の影響から「グローバルヒストリー」としての環境史が語られることがもっぱらでしたが(もちろんそれはとても重要な課題であり続けていますが)、数年前から「地域の環境史」にも関心が持たれはじめ、ここ1、2年、大きな仕事としてその成果が世に問われるようにもなりました(たとえば、佐野静代『中近世の村落と水辺の環境史』吉川弘文館、2008年、あるいは高木徳郎『日本中世地域環境史の研究』校倉書房、2008年など)。ドイツでも同じような傾向があるように思います。今回のこの研究大会の成果は、きっと2年後には活字となって刊行されるはずですが、(「都市と環境」といったテーマも含め)きっとほかにも同様のコンセプトを持った成果がたくさん出されることでしょう。気がついたら、またこの日記でもご紹介したいと思います。
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by schembart | 2009-11-15 04:56 | 講義・講演会・研究会
アウクスブルク大学で開かれたドイツ-日本シンポジウムに参加してきました。

日本の近世ヨーロッパ史研究者とアウクスブルク大学のヨーロッパ文化史研究所(Institut für Europäische Kulturgeschichte)が共同で数年前から続けている企画で、アウクスブルクでのシンポジウムも今回が二回目とのことです。第一線でご活躍されている日本の先生方やアウクスブルク大学の近世史の先生方と知り合うことのできる絶好の機会なので、いきなりで御迷惑にならないかとちょっぴり不安を抱きつつも、勇気を出して参加してきました。とはいえ、自分の文書館での調査もあるので二日目だけ参加させてもらうことに。

シンポジウムのテーマは、「近世ヨーロッパにおける平和の諸相(Dimensionen des Friedens im frühneuzeitlichen Europa)」というもので、イングランド、ポーランド、神聖ローマ帝国、フランス、スウェーデン、それにポルトガルやデンマークなどにおける近世の「(戦争と)平和」について、さまざまな角度から議論が展開されました。きっと日本語でも、シンポジウムの成果として報告者の先生方による解説がいろんなところで読めるようになると思います。ですので、ここで(すべての議論を理解できたわけではない)ぼくが妙な紹介をしてしまってもいけないので、詳細が気になる方は、先生方のちゃんとしたご報告をお待ちください。

「平和」と日本語にしてしまうと、ぼくなんかは単純に「戦争のない状態」というふうに思ってしまいますが、この時期の「Frieden」というのは、「戦争状態を脱却するための条約・講和を取り結ぶ」というよりアクティブな行為、そしてその結果としての「平和状態」、というそういったプロセス全体を意味する言葉なのですね。そう考えると、(一日目にはぼくは不参加でしたが、二日目の最後の全体討論でも話題に上った)W.ヴェーバー先生の「平和文化(Friedenskultur)」という概念の意味するところもなんとなくわかるような気がします。

休憩時間やお昼ごはんの時間には、日本の先生方とも知り合いになれて、いろいろとお話をうかがえました。シンポジウムが終わるときには、みなさんから「こちらで研究頑張ってね」と肩を叩いてもらいました。ありがたいことです。

それに何よりも嬉しかったのは、シンポジウムでもご報告されたエアランゲン・ニュルンベルク大学の地域史講座の教授ヴォルフガング・ヴュスト先生(Prof. Dr. Wolfgang Wüst)と知り合いになれたことです。ヴュスト先生は、アウクスブルク司教領の研究で有名で、しかもかつてはアウクスブルク都市文書館の館長を務められ、そこから現在のエアランゲン・ニュルンベルク大学の教授になられた先生です。じつは、こちらに留学する際に、指導教授をキースリング先生にするかヴュスト先生にするか悩んだこともあったのです。それくらいに、ぼくの研究にとっても重要な研究者なのです。

こんな機会はまたとないということで、お昼ごはんでもちゃっかり隣に座らせてもらい、しかも自分の研究についても話を聞いてもらうことができました。しかも厚かましいことに、現段階の博士論文の構想(月曜日にキースリング先生に見てもらったやつです)をお渡しすることにも成功しました。ありがたいことに、先生は興味を持って下さったようで、「ニュルンベルクに来たらぜひ連絡してください」とおっしゃっていただきました。とても親切な先生で、本当にありがたい限りです。

そんなこんなで、とても実り深い一日となりました。明日からの文書館での史料調査にもまた力が入ります。
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by schembart | 2009-11-12 04:56 | 講義・講演会・研究会

第一回面談

指導教授のR.キースリング先生とお会いして、今後の研究についてお話をしてきました。

大学ではもう講座をお持ちではないので、先生が所長を務める「シュヴァーベン研究所(Schwäbische Forschungsgemeinschaft e.V.)」の部屋にいらっしゃい、とのことで、ドキドキしながら行ってきました。お久しぶりにお会いするので、とても緊張してしまいましたが、相変わらずとても親切にお話を聞いて下さいました。

なによりも研究の概略をお伝えするのが先決ということで、現段階での博士論文の章構成を見てもらうことに。ふむふむ、研究の構想としてはよくまとまっているので、このまま研究を進めていきましょう、とおっしゃっていただきました。ああ、よかった。一安心です。あとは、この外枠に内容を詰め込んでいく作業です(といっても、これがものすごく大変なのですが…)。でも先生の「よろしい」の一言は、ぼくにとってはとても大きい意味があるのです。道しるべはできました。

あとは具体的な史料調査の手順について。何といっても、市立文書館の害虫被害とそれによる史料へのアクセス制限が大きな問題となります。先生は「市立文書館後援会(Freundeskreis des Stadtarchiv)」の所長もされており、そのことももちろん御承知で、どうにかして来年の半ば以降には、研究者に対しては優先的に史料へのアクセスが再開されるような措置が取られるように計らって下さるとのことでした。それまでは、ぼくの研究のもうひとつの軸となるニュルンベルクの事例に関して史料調査をするのがよいでしょう、ともご助言をいただきました。

あとは、これまでに文書館で調べてきた史料についての細かな質問に答えてもらって、「ドイツ人の研究者にも手書き史料の解読は手間のかかる作業です。ゆっくりじっくりと頑張ってください」と肩を叩いてもらい、今回の面談は終わりました。「なんでも質問があったら気軽にメールをするように」とのお言葉もいただいて、ほんとうに有り難い限りです。

それから、今週末にメミンゲンで開かれる研究大会にもご招待してもらいました。これは、これまた先生が所長を務めている「シュヴァーベン地域史メミンゲン討論会(Memminger Forum für Schwäbische Regionalgeschichte e.V.)」が2年に一度開催する研究大会です。今回のテーマは、なんと「地域における環境史("Umweltgeschichte in der Region")」というもので、ぼくの研究とも関連する報告をたくさん聞くことができそうです。いろんな研究者とも知り合いになれる良い機会なので、ぜひ参加してみたいと思います。

そんなこんなで、とても有意義な面談となりました。明日からの史料調査にも力が入ります。がんばろう。
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by schembart | 2009-11-10 02:21 | 研究